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こんにちは、京都出身の佐野です!
皆んなのコラムを読んでいて、日頃の話では聞けないような事も知れて今後が
より楽しみに思っています、この調子で文章力も高めていければと期待しています!

さてさて…何を書こうかな(笑”

とりあえず最初は自己紹介を兼ねて車椅子になった経緯と介護業界に入った事を
ザックリと少し書こうと思います

僕は21歳の時に大阪で交通事故に遭い脊髄損傷と左腕神経叢損傷になりました、
簡単に言えば、ほぼ右腕しか動きません

交通事故と言っても、僕が直進していた所に車が飛び出してきて衝突したので、
当初は相手に対するイライラした気持ちの落とし所が見つからず
気持ちの整理に時間がかかりました。

それまでは自由奔放に生きてきて、因果応報と言われれば納得してしまうような
過去でしたから、障害を受け入れるのに時間はかかりませんでしたが
さすがに生活環境が一変したのでどう生活していこうかと言う事に悩みました。

子供の頃は、海が好きで潜水士になろうと思っていて、日本は海に囲まれた国で
海洋関係の仕事は無くならないと思い志していましたが、その後潜水士の道を断念し
次に働いたのが寿司屋でした。
これも寿司が好きと言うこともありますが、日本の料理という事で
今後もあり続ける仕事なので寿司を握っていましたが、色んな人と話をしている中で
19歳の頃に電気工事という仕事に縁があって、建設業ですが建てたら終わりというではなく
機器の更新、整備、改修と、ビルだけでなく一般家庭にも仕事があり
上手くすれば食いっぱぐれなく、自身で事業を行うこともできると思い電気工事の仕事へ
転職を決めました。

その後、事故に遭うわけですが

首が半分切れて、左の首の動脈は今も塞がっているような悲惨な事故でしたが、
その事はまた後日にして

急に福祉の世界に入る事になったわけですが、
入浴やトイレ、着替え等の日常生活で介護を利用する事になって、介護福祉の不便さというか
制度の曖昧さが目に付くようになってこれでは良くないよねってことで数年勉強して
5年程前に自身で介護事業所を立ち上げました

介護という仕事もこれからも無くなりませんし
自分の生きている世界の事を他人に委ねることはできません

障害者になって介護制度を利用していて、いくつか打開しないといけない事を思っており
その内の1つが、いつも灯りがある事業所です
介護を利用していて、夜間の不安が付きまといます、拠点である別府という小さな街ですが
そんな街に駆け込み寺のような介護事業所があり
介護福祉を利用している方が安心した生活が送れるように、まずは別府から広げていきたいと
思っています。

ps: ウェブ担当小川です!
いかがでしたか?代表佐野のコラムは
佐野さんとはもう10年近くの付き合いですが、潜水士や寿司屋の事は全く知りませんでした!
佐野さんが寿司屋で働いてる姿見たかったな~(笑)イケメン店員で有名だったでしょうね!
今度佐野さんに寿司を握ってもらいます(笑)
今回のトップの写真は、佐野さんがバイクに乗っている時の写真です!
も~何してもイケメンずるいですね~!
これからも少しずつ佐野さんの写真がアップされると思うので、皆さんお楽しみに!!
それでは次回は金曜日にお会いしましょう!
See you next time!!

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